今週のお題「お弁当」
最後のお弁当
「最後のお弁当を作った日は、寂しくて涙が止まらなかった」
ある日、近所に住む先輩ママがほろりとこぼした。彼女の末っ子は高校の卒業式が目前で毎日のように作っていたお弁当作りが終了してしまったとのことだった。もう、何年も前のことである。
その頃のわたしは中学生の息子のお弁当作りが、わずらわしいと思う日々の中にいた。コンビニで昼食を買いたいと要望があったり、試験中などでお弁当を作らなくていい日は、平然をよそおって心でニヤリとしたものだ。朝の台所でバタバタしなくていいから時間にゆとりがあり珈琲が美味しかった。
当時のわたしのお弁当作りは市販の冷凍食品やレトルト食品を使わないことをモットーとしていた。小食で身体が丈夫でなかった息子のお弁当は、食欲を誘う色どりを考えたり品数や栄養バランスに気を配った。だからお弁当作りは、そこそこに時間と手間がかかる面倒な家事だったのだ。
中学生の息子のお弁当作りは数年先まで続く上、小学校には二人の娘がいた。わたしのお弁当作りの最後の日は何年先だろうと、ちょっぴりため息まじりに先輩ママの話に耳を傾けていた。
しかし、先輩ママの気持ちは想像できた。日々のお弁当作りに長年の我が子の成長が重なり、こみあげるものがあって涙してしまったのだと。そして、その日が来たらわたしも涙するのだろうかと思いを馳せてみたりした。
変らない朝の台所
あれから十数年の月日が流れ息子は20代の後半になり小学生だった娘二人もとっくに成人している。
最後のお弁当に涙した先輩ママの言葉は覚えているのに、息子や娘たちに作った卒業前の最後のお弁当のことが、まるで思い出せない。もちろん、ああ、これが最後のお弁当だと感慨深く涙を流した記憶もない。
けれど今もわたしは、お弁当を作っている。「たまには、自分で作りなさいよ」と思いながら社会人になった末娘のお弁当を作っている。ぎりぎりまで起きてこない娘にあきれながらも。
あの頃と変化したのは、冷凍食品も時には使うようになったこと。何て便利なんだとか、なかなか美味しいねぇと感動している。そして、あの頃からずっと変わらないのは、「ごちそうさま」や「美味しかった」が嬉しくて、次の朝も台所に立ってしまうことである。
人参を花や星に型抜きしたり、ウズラのゆで卵を桃色に染めたり、100円ショップで買ったお弁当小物を飾ったり……。遊んでいる気はないのだが、どうやら台所に居るわたしは楽しそうに見えるらしい。
未来のお弁当
そう言えば、未来のお弁当の予約も入っている。結婚もしていない末娘が「孫のお弁当もお願いね」と、冗談交じりに口にすることがある。「はい、はい」と苦笑いしながら「かんべんしてよ」と心の中では思っている。
思っているのに、わたしは本屋さんに行けば『園児のお弁当』の本を時々立ち読みしてしまう。我が子たちが幼かった頃にはなかった、かわいいデコレーションのお弁当の本が幾冊も出版されている。絵本の様で眺めているだけでも楽しい。
たぶんわたしは、いつの日にか、これらのお弁当のレシピ本を持ってレジに向かうのだろう 。