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しあわせな言葉の「ありがとう」

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「ありがとう」は普段使いの言葉です。老若男女はもちろんのこと、小さな子どもだって「ありがとう」の言葉を知っています。「ありがとう」は、言ったときも言ってもらったときも、しあわせな気分にしてくれる言葉です。

 

そんな「ありがとう」の言葉について、記事を書くことにしました。「ありがとう」と言ってもらって感動したエピソードを書くつもりでパソコンを開いたのですが、今回は、語源について書いてみることにしました。

 

心をあたたかくしてくれる「ありがとう」の語源が気になったので…。よろしかったら、このままお付き合いください。

 

 

「ありがとう」の語源

 

“ありがとう” 普段なにげなく使っている、お礼の言葉。これも語源は「有難し」という仏教語である。出典は『法句経(ほっくきょう)』の、「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし」である、と言われている。

 

人と生まれた生命の驚きを教える教説である。だから「有り難し」とは、その仏説を聞き、人の生命の尊貴(そんき)さへ目覚めた、大いなる感動を表す言葉でもある。

 

それがいつしか感謝の意に、転用されるようになったのである。先人のこのような宗教的心情を想う時、日本語の中でも、特にすぐれた美しい言葉であると思う。

 

延塚知道 大谷大学教授・真宗学
大谷大学発行『学苑余話』生活の中の仏教用語より

 

                                                                                  ▶引用元・東本願寺Webサイト◀

 

                    ※「尊貴」…きわめて尊いこと・または、そういう人

枕草子の中の「ありがたき」

現代語においての「ありがたい」は感謝の意味で使われていますよね。だけど古文ではまったく違った意味で使われていました。清少納言の『枕草紙』には、こんな文章があります。

 

「ありがたきもの。舅にほめられる婿。また姑に思はるる嫁の君。毛のよくぬくる銀の毛抜き。主そしらぬ従者。つゆのくせなき。かたち心ありさますぐれ世にふる程いささかの疵(きず)なき…」

 

おおかたの意味は分かるかと思いますが、現代語訳は次のようになります。

 

「めったにないもの。舅にほめられる婿。また姑にほめられる嫁。ムダ毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人のことを悪く言わない従者。少しも癖のない人。容姿、心、態度が優れ世渡りをする中でわずかな欠点もない人…。」

 

今から1000年ほど前の平安時代においては「ありがたし」は、「めずらしい」「めったにない」の意味で使われていました。

 

「ありがたし」を漢字で書くときに、有るのが難しいと書いて「有難たし」と表現することからも「めずらしい」「めったにない」の意味を持つことを理解できます。
 

 

徒然草の中の「ありがたし」

 鎌倉時代後期の随筆である『徒然草』の百七十七段(二百四十三段の内のひとつ)では、「ありがたし」は「めったにないほど優れている」の意味で使われています。「めったにない」の意味は『枕草紙』と同じですが、「優れている」の意味が含まれるようになりました。

 

『徒然草』は吉田兼好(よしだ けんこう)、本名は卜部兼好(うらべ かねよし)によって700年ほど前に書かれました。

 

この下の引用は「ありがたし」の言葉が含まれている百七十七段の一部です。

 

鎌倉中書王(かまくらのちゅうしょおう)にて、御毬(おんまり)ありけるに、雨降りて後、いまだ庭の乾かざりければ、いかがせんと沙汰ありけるに、佐々木隠岐入道、鋸(のこぎり)の屑(くず)を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭(ひとにわ)に敷かれて、泥土(でいど)のわづらひなかりけり。「とりためけん用意ありがたし」と、人感じあへりけり。

 

 現代語訳は、以下のようになります。

 

鎌倉中書王(かまくらちゅうしょおう)の御所で蹴鞠(けまり)の会が開かれたときのことです。庭は雨が降った後でぬかるんでおり、どうしたものかと思案をしていました。すると、佐々木隠岐入道が、多くのおがくずを荷車で運んできて、御所に献上しました。おがくずを庭一面に敷き詰めることで、蹴鞠をするのに障害となるぬかるみの心配がなくなったんですね。 そこで人々は、おがくずを集めておいた用意の良さは、「まれにみる立派さだ」と感心しあった…。

 

「とりためけん用意ありがたし」の「ありがたし」は、現代のありがとうに、少し近づいているように感じます。佐々木隠岐入道の行動は、人々に喜んでもらえる行動だったのですから感謝の意味合いもあるのではないでしょうか。

「ありがたし」と同じ意味の現代語

古文の「ありがたし」と同じような意味合いで使う現代語には、「奇特(きとく)」や「稀有(けう)」と言った言葉があります。奇特は、話すことや行動や心がけが優れていて褒めるに値するって意味です。非常にめずらしい、不思議と言う意味もあります。

 

「稀有(けう・きゆう)」も意外なこと、めずらしいこと、不思議なことを意味します。一般的には禾偏(のぎへん)がない「希有(けう)」がつかわれています。奇特も希有も良い意味としてつかわれることが多いです。

 

奇特や希有の言葉のつかいかたですが、自分のことより他人のことを優先する人のことでたとえてみますね。その人を褒めるときに「あなたは奇特な人だ」や「あの人は希有な人だ」と表現することがあります。

 

『徒然草』にある「ありがたし」の現代語訳は「まれにみる立派さ」でした。奇特や希有が「ありがたし」と同じような意味を持つ言葉だと理解できます。

 

感心することと感謝することは違いますが、たとえの文は「あなたは有難い人だ」や「あの人は有難い人だ」と言い換えることができます。「めずらしいこと」と「ありがたいこと」は、全く違う言葉のようで、実はとても近い言葉なのですね。

『法句経』のことを少しだけ…

 

この記事の書き始めで東本願寺のwebから引用した教説のことを少しだけ書きます。

 

「ひとの生をうくるはかたく(難く)、死すべきものの、生命あるもありがたし(有り難し)」

 

意味は、「人間として生まれてくることは難しいことであり、生を受けてもいつか死ぬことが約束されている。それでも、今こうして生かされていることは本当に有難いことである」です。

 

わたしは無宗教で仏教のことは、よくわかりませんが、生かされていることのありがたさは、感じています。そして大切に思う人たちが生きていることも、ありがたいと思いながら日々を過ごしています。

 

今日は、「ありがとう」の記事を書いて、改めて感謝の気持ちを温めなおせた日となりました。最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。 

 

ご訪問ありがとうございました。。。♪