Pagoの部屋

ようこそPagoの部屋へ。管理人は、とっくに3人の子育てを終えたアラフィフ主婦です。大好きな絵本や食べること、そして心に沁みたことなどを記事にして綴っています。

人生は椅子取りゲーム

 

 「人生は椅子取りゲーム」……この言葉は、アニメ『アンパンマン』の生みの親、やなせたかしさんの書籍『やなせたかし みんなの夢をまもるため』(NHK出版)の第一章のはじめに書かれています。

 

1969年(昭和44年)のこと。やなせさんは『PHP』という月刊誌で一年間、挿絵付きの童話を描いていました。その中に『アンパンマン』というタイトルの作品があります。このアンパンマンは自分の顔を食べさせるのではなくて、アンパンを配るおじさんでした。そして、アンパンよりもソフトクリームがいいと子どもに言われる、カッコ悪いヒーローだったのです。

 

同じ1969年に、やなせさんの『やさしいライオン』という絵本がヒットし、翌年にはアニメ映画として封切されました。そこで、出版社のフレーベルから「もう一冊」と依頼され、描いたのが『あんぱんまん』だったのです。やなせさんは子どもに向けて描くなら、アンパンを配るおじさんよりアンパン自体が空を飛ぶ方が面白いと考え、ヒーローそのものの顔をアンパンにしました。さらに困っている人に自分の顔を食べさせるストーリーにしたのです。

 

こうして1973年(昭和48年)に、ひらがなの『あんぱんまん』のタイトルで絵本が上梓されたのですが出版社からは「こんな本はこれきりにしてください」と言われ、幼稚園の先生からは「顔を食べさせるなんて残酷です」と言われ、絵本評論家からは「こんなくだらない絵本は図書館に置くべきでない……」とまで酷評されてしまいました。(ひらがなの『あんぱんまん』は、この一冊だけです)

 

しかし、やなせさんは不評にもめげず、50歳代の年齢でありながら信念を曲げず子どもに向けたアンパンマンを描き続けます。やなせさんのアンパンマンへの思いは次のようなものでした。

アンパンマンは、正義の味方といいながらあまり颯爽としていません。元がアンパンだから、転んで汚れたり水に濡れるとパワーがなくなる。食べられない状態になると力が出ないのです。力を取り戻すには、ジャムおじさんに新しい顔(アンパン)をつくってもらって、顔ごと取り替えるしかないという手のかかるヒーロー。それなのに、この人を助けたいと思ったら、自分の頭をかじらせてでも力になろうとするわけです。

やなせさんの信じるヒーローは、怪獣や悪人たちを次々とやっつけるカッコいいヒーローではありません。やなせさんの信念は自己犠牲のなかに正義があるというのです。さて、アンパンマンを描くにあたって信念を貫くといっても、出版社や周りの声に耳をかさなかったわけではありません。

 

やなせさんは、お腹がすいている人に直接顔をかじらせていた最初のストーリーから、アンパンマン自身が自分で顔をちぎって与える形に変え、絵柄も子どもに親しみやすい絵へと変化させました。そして悪役でありながら、どこか憎めないばいきんまんをはじめ、どんどんキャラクターを増やしていったのです。やがて絵本時代のアンパンマンに人気が出はじめました。やなせさんが60歳の頃のことです。

 

テレビアニメとして『アンパンマン』の放送がはじまったのは、1988年(昭和63年)です。やなせさんは70歳を目前とする年齢でした。遅咲きの花……という言葉がありますが、やなせさんは、たくさんの歳を重ねてから日本中に愛とやさしさの花を咲かせた方なのだなと心を温められます。そして勇気を貰えました。(『アンパンマン』は、日本だけにとどまらずアメリカや韓国、香港、台湾などでも放送されました。)

 

テレビで放送されるようになって30年ほどになりますが、『アンパンマン』の人気はすごいですね。衰えるどころかグッズも増えテーマパークも次々とつくられ、パワーアップしています。かつてわたしも、子どもたちと一緒に『アンパンマン』を観て感動したり笑ったりしました。ビデオや絵本をそろえたり、公式がガイドブックみたいなものも買って、多くのキャラクターの名前を覚えようとしていた日々をなつかしく思い出します。(子どもには負けましたけど)

 

下記に紹介するやなせさんが語った「人生は椅子取りゲーム」は、89歳(2008年10月時点の年齢)のときの言葉です。

 そもそも漫画家になりたいと焦ってみたところで、手塚治虫や石ノ森章太郎のような天才がひしめいていた当時の漫画界に、ぼくが座る椅子はありませんでした。それを承知で満員電車に乗り込み、あきらめて途中下車せずに立ち続けていたら、あるとき目の前の席が空いた。七十過ぎてアンパンマンがヒットしたことを、ぼくはそんなふうにもとらえています。

 人生には椅子取りゲームのようなところもあるのです。

 七十を過ぎるまで漫画家としての代表作がなく、人々の活躍を目で追いながら立ち続けていたことも、今から思えば、アンパンマンに出会い、それを育てるための大切な準備期間だったのかもしれません。

 

『やなせたかし みんなの夢を守るため』の読後、思うこと、感じることはたくさんありましたが、第一章のほんの始まりの部分だけで2000字ほどになってしまいました。またの記事で、アニメ『アンパンマン』の主題歌になっている歌のことや、アンパンマンこめられている、もっと深い思いを文章にできたらと思います。

今回は、書籍から引用した「それを承知で満員電車に乗り込み、あきらめて途中下車せずに立ち続けていたら……」に、もし、やなせさんが途中下車をしていたら、わたしたちはアンパンマンに出会えていなかったのだなと思ったのです。なので、この部分をまず記事にしてみたかったのです。

やなせたかし みんなの夢まもるため