玉子焼きの魔法

「朝、起きたら一番に玉子焼きを焼くねん……」

 

そう言ったのは、以前おなじ職場で働いていた人です。

仕事の上では一年ほど先輩の彼女は、わたしより5~6歳若い人でした。

 

一緒のシフトに入ったときのこと。

「玉子焼きの他は、ウインナーや冷凍食品だけ」

毎朝、息子さんに作るお弁当のことを話しはじめました。

「でも玉子焼きだけは、ちゃんと焼く。味は、塩辛かったり甘すぎたり、何回やっても上手に焼かれへんけど」

彼女は、料理は苦手だと言い、笑いながら話してくれました。

 

当時、彼女の息子さんは、中学の一年生でした。小学生の頃もかなりのやんちゃをしていたけれど、中学生になってから、ますます弾けてしまったと職場で噂をされていました。上級生とつるんで学校を抜け出したり他校と喧嘩をしたり喫煙したり、次々を問題を起こして、その校区では、有名だったそうです。

 

彼女は、学校からの呼び出しが度々あって急に仕事を抜けなければならなくなったり、下校時間以降は家で待機して、息子さんが何をしても身動きがとりやすいようにしておく必要があり、シフトを配慮してもらわざるをえない状態でした。

 

明るい彼女は、笑顔を絶やさない人でしたが、そんなシフトのことで「勝手ばかりさせてもらって、ごめんね」と、言ったことがあります。少しくずれた笑顔の中の目が、悲しそうでした。学校で頭を下げて、職場であやまって、家で息子さんに心を痛めて、どれほど、どれほど、毎日がしんどかったことでしょう。

 

わたしは、彼女と同じシフトに入ることがほとんどなく、引継ぎのときに顔を合わせることがたまにある程度でした。なので、引き継ぐ仕事の話以外あまり多くのことをお喋りした記憶はないのです。もちろん息子さんのことでの相談や、愚痴を聞いたこともありませんでした。

 

 

 そうだから、なおのこと、このお弁当の話が、わたしの記憶に焼き付いたのでしょう。

 

彼女の話は、こうでした。

 

息子さんは、どんなに家で反抗的な態度をとっても、お弁当は持って家を出るのだと。

夜、帰ってこない日があっても、翌日の朝にはお弁当を取りに帰ってくるのだと。

何より、玉子焼きが好きなのだと……。

 

仕事中なので、ほんの数分のお喋りです。ニコニコと、玉子焼きの失敗談を話す彼女の心の内には、心配や不安もあったでしょうが、他人からどうこう言われても息子さんを信じる強い信念もあるように感じました。

 

そんな彼女を見て「息子さん、きっと大丈夫……。」

 

なんて、無責任にも、いいかげんにも、わたしはひそかに大きくうなずいたのでした。

 

そして、そのとき息子さんの顔が、わたしの脳裏に浮かんできたのです。

 

金髪をつんつんさせた息子さんと顔を合わせたことが、数回ありました。職場にいる彼女(おかあさん)に、おこずかいをねだりに来たのです。なんだかんだと耳に届いている噂は、どこまでが本当なんだろうと思う、あどけなくてやさしい顔立ちでした。

 

塩辛かったり甘すぎたりの玉子焼き…。いつか玉子焼きの魔法が届くから…。

 

お喋りのあと、それぞれの仕事にもどったときに、そんなことも思ったのでした。

 

 

 

しばらくして彼女は、職場を去りました。

 

どうしているかな…と思うことはあっても、電話をかけあったりメール交換をするほど親しくはなっていませんでした。一緒に仕事をした期間は1年もありません。2度、駅付近と買い物先で会ったきり、彼女と会うこともなく5年くらいの月日が過ぎました。

 

 

 

そんなある日、彼女ではなく息子さんに、ばったりと会いました。

 

身長が、ぐんと伸びていました。髪は黒く形のいい頭を引き立てる五分刈りで、すっかり落ち着いた雰囲気になっていました。可愛らしい顔立ちだったおかあさんによく似て、なかなかの男前です。

 

「おかあさん、お元気?」そう聞くと、

「はい、おかげさまで」と、かしこまった顔で大人な返答。

 

クスッと笑って胸がじーんと熱くなりました。

 

息子さんとさようならの挨拶をして、大きくなった背中を見送りながら気が付けば、彼女の言葉を思い出していました。

 

「朝、起きたら一番に玉子焼きを焼くねん……」

 

 

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